流れるとき

若いころ日本を離れて
毎年里帰りをしてきた中で
ひと月の滞在は初めてのことだった
生まれ育った大都市は
ますます機能性と喧騒を増しているのに
ときどきふと感じる
音のない世界でひとり立ちすくんでいるような
あの心持ちはいったい何だろう
高齢の両親と
日本の味覚を愉しみ
意匠を愛で
ゆっくり語らい
そしてまたひとり離日するのは
それはそれは後ろ髪引かれる想いがする一方で
黄葉が輝く森の国に戻る安らぎもまた抱く
私の居場所は
どちらにもなく
どちらにもあるのだろう
これからのことは
流れるときが導いてくれる
今までもそうであったように
<自分と向き合う>
あるビジネス講座に参加しています。
離れていても出会うべくして出会った魅力的な人たちが主宰する
実に豊かで深いものです。
そこで大切にされるのは
何ごとも自分の「あり方」が前提だということ。
「やり方」はそのあと。
「術」でなく「道」です。
ではどうするか。
まずは自分を満たして調えること。
自分の路なのに健やかな心身がなければ進み続けられませんから。
そのために自分を知る必要があるのですが
どうしてなかなか難しいことです。
そこでいま、
「心を亡くす」と書く「忙しい」を理由に
おざなりにしてきた自分自身の心の破片たちを
手厚く集める作業をしています。
それらはことごとく自分を守ってきてくれたものたち、
今の自分にはもうなくても大丈夫と思えるなら
感謝して手放そうと思います。
昇華して
これからの自分を別の形で見守ってくれることを願って。