手放す

ある晩のこと
火の粉が届くほどの近所で火事が起きた
万が一パジャマのまま逃げる必要があるのなら
ひとつだけは持っていこうと決めていたのが
あのボルドー色の背表紙のアルバムだった
その頃の自分には大切な想いが
ちりばめられた写真を納める
何にも代えがたいアルバムだった
あれから年月を経て
ようよう手放そうと思う
もう形として残す必要がないから
あの想いは
今ここにいる自分の血肉となり
心に宿り
それで十分だと思えるから
こうして月日を重ねることは
ひとつ またひとつ 自分の中に息づく想いが増えること
間もなく
短くも輝く実りの秋が駆け足でやってくる
<クルミ割り>
心地よく設えた居間の暖炉前で
ビル・エヴァンスが奏でるピアノを聴き
こっくり重めの赤ワインを口に含み
クルミをひとつひとつ割りながらつまむ
そんな秋の至福
白カビ系のチーズやドライレーズンが彩を添え
得も言われぬクルミの渋みとコクも然ることながら
その固い殻を割る営みと実を口に運ぶ
そこはかとない悦びが合わさって
まるで瞑想でもするような
穏やかでたおやかなひとときを
もたらしてくれます
どの季節もそれぞれに良いものですが
実りの秋、私には待ち遠しいものです