温室の蘭

日本を離れて今年で何年目になるだろう
私にとって日本語というものは
もはや伝達手段ではなく
温室の蘭のように
雑音の入らない部屋で
大切に育んで愛でるものである
またそうでないと潰えてしまうものなのだ
「反応が違うなあ」
2年近く病臥に伏せた友人がいよいよ旅立つ前
彼女の非日本人のご主人が呟いた
私が話しかける言葉に
うつろな瞳を宙に迷わせながらも
ぽつぽつと応えてくれたのは
彼女の母語だったからなのだろう
あれだけ優秀だった彼女の脳までが
病魔に襲われても
最期まで彼女が守ったものだったのだろう
日本という国
そこに住む人々
そしてたおやかなやまと言葉は
私にとっても懐かしいものでありながら
遠くにありて想うものであり続け
またそうあってほしいものなのである
そして私もおそらく最期まで守るものだろう
とりもなおさずそんな懐かしく愛しいものを
心に抱き続けられること
それを 「安心」 と呼ぶのではなかろうか