ある不思議な体験

生きている実感を味わいたかったのだと

ある不思議な体験を通して気がつきました。

 

動きは一切ないにも関わらず

身体に変化が起こるのです。

 

友人が施してくれた「霊気」です。

 

この霊気というのは

「気を調える」ことだそうです。

神社参拝にも通じる奥義でしょうか。

 

触れるか触れないかのところで

友人はただ掌をかざしています。

 

それだけで

私の眼がじわりと熱を帯びたり

私の指がぴくりと動いたり

私の肝臓に違和感があったり

 

私自身のために

たゆまず働いてくれる臓腑の

中庸を保つための反応によるものだそうで

 

身体内に滞りがあると

友人の掌がぴりぴりするというのです。

 

私自身の気、つまりエネルギーを流すための

友人はいわばパイプ役なのだとか。

 

元気、無邪気、生気、気力、正気、殺気、雰囲気…

数知れない「気」のつく言葉が表すように

目には見えなくても確かにあることは

誰もが感じて知っていること。

 

さらに「手当て」という言葉があるように

誰でも痛い場所を手で抑えた経験は

あることでしょう。

 

幼い頃、痛いお腹に母が手を当ててくれた時は

無上の安心に包まれたっけ。

 

身体はわかっている。

大いなる力を感じます。

 

私は臓腑を意識して動かしていないにも関わらず

この肉体を生かすためだけに

たゆまずただその役割を遂行してくれている。

 

それでもいつか必ず全うされる日が来る。

 

いったいこの絶対的なありようは

何なのだろうかと

正解のない問いにすくみます。

 

かつて身を焦がした恋のように

「間違いなく生きている」というあの実感、

ここ数年

それを求めて自分の宝を探してきたように思います。

 

でもそれは、他でもない自分自身の

臓腑が、肉体が、魂が、

この瞬間にも授けてくれていたのだと気づきます。

 

往来の難しい時節ではありますが、
欧州生活を希望される方やご興味のある方、
訪ねていらっしゃる方、在欧30年になる私で
お役に立てることがあれば、お知らせください>

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白乃ちえこ
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