花道

「あ、となりのおじさんだ」
学校帰りの路地で、となりのおじさんが
電信柱の裏で息を潜めてじっとしている
小学生だった私や兄にさえも
見られたくないのだ、あのおじさんは
それでも、いくら小柄なあのおじさんでも
大人がすっぽり隠れるわけもなく
はげ頭がのぞいている
私は思いやりをもっておじさんを無視する
おじさんに対する礼儀だからだ
おじさんは九州から上京し
戦後まもなく掘っ立て小屋に移り住み
どこかのバアで得意のピアノを弾きながら
生計をたてていたらしい
「あのおじさんはちょっと変わっているけど
頭のよい人なのよ」
なぜそう思ったのかは知らないが
母はよくそう言った
あの小屋の継ぎ接ぎも限界になった頃
柱の影に見かける頻度も減り
おじさんは引退した
身寄りのない老人だったから
区のヘルパーさんたちが
入れ替わり立ち代わり世話にやってきた
小屋はすっかり明るい空気に包まれた
ヘルパーさんたちに支えられて
ゆるりゆるりと路地を進む好好爺は
まるで花道をゆくスタアのようだった
おじさんの最期の舞台だった