僕は僕になります

離れて暮らす兄の家族と私の息子たちとは
What’sAppのグループチャットでやりとりしている。
先日、兄がWikipediaのあるリンクを送ってきた。
007映画で初のアメリカ人監督だという
Cary Fukunagaという方についてだった。
「ジェントルな闘士(長男・仮名)は未来のフクナガか?!」
と煽るような励ますようなタイトルを添えて。
お父様が日系、お母様がスウェーデン系というためか
確かにジェントルな闘士は佇まいが似ている。
そこで息子、
「僕は僕になります」ときた。
おうおう、あっぱれだ。やってもらおうじゃないの。
と、親ばかを楽しんだ次の瞬間、
我が身を振り返ってしまった。
自分だったら「いやいや一介の学生の身で」などと
考えてしまうのではないかと。
少なくとも息子のセリフは出てこない。
今学生である、つまりは
『無限の可能性がある』ということではないか。
今の自分と
未来の自分は
立っている場所も
その時の光景も違うのだ。
『私だって未来の自分が歓ぶことをしていこう』
黄金色に輝く森でひとりごつ。
<往来の難しい時節ではありますが、
欧州生活を希望される方やご興味のある方、
訪ねていらっしゃる方、在欧30年になる私で
お役に立てることがあれば、お知らせください>